臨床をやっていて、分からないことってありますか?
私は、いくらでもあります。
10年、20年と臨床を続けていても、
「これ、どういうことなんだろう」
と思うことは普通にあります。
むしろ、経験を積んだから分からないことがなくなった、という感覚は全然ありません。
「ここは明らかにおかしい」と感じても、症状とつながらない
例えば患者さんの体を触っていて、
「ここは明らかに他と違うな」
と感じることがあります。
筋肉の緊張だったり、動きだったり、左右差だったり。
施術者として気になる場所がある。
でも、その人が訴えている症状との関連性がどうしてもつながらない。
そんなことは普通にあります。
「ここが悪そうだから、ここが原因です」
と簡単に言えれば楽なんですけどね。
実際の体は、そんなに分かりやすくないです。
訪問マッサージでは、もっと難しい患者さんもいる
特に難しさを感じるのが、訪問マッサージの現場です。
ALSなどの進行性の神経・筋疾患がある方。
症状がかなり進行して、ほぼ寝たきりになっている方。
訪問マッサージでは、そうした状態の患者さんに施術をさせていただくこともあります。
こういう方の施術は、本当に難しいです。
もちろん、疾患そのものをマッサージで治すという話ではありません。
その方の状態の中で、少しでも楽に過ごせるようにできないか。
動かせるところを維持できないか。
拘縮やこわばり、痛みなどに対して何ができるか。
そういうことを考えながら施術します。
施術しても「返事」が分かりにくい
私の中では、施術というのは患者さんの体とのやり取りみたいなところがあります。
こちらが触る。
刺激を加える。
すると、患者さんの体から何か反応が返ってくる。
動きが変わった。
緊張が変わった。
表情が変わった。
本人が「少し楽になった」と言ってくれた。
そういう反応を見ながら、
「こっちの方向で良さそうだな」
「これは違ったかな」
と次の施術を考えていきます。
ところが、状態がかなり進行している方では、この反応がとても分かりにくいことがあります。
すると、
「今やっていることは本当に合っているんだろうか」
「もっと別の方法があるんじゃないか」
と不安になります。
これは今でもあります。
分からなかった患者さんのことを、移動中も考える
では、分からない時にどうするのか。
私は、ひたすら考えています。
訪問マッサージなら、次の患者さんのところへ向かう移動時間。
「さっきの患者さんの体はどうなっていたんだろう」
「あの緊張と、この症状はどうつながっているんだろう」
「次回は違うところを確認した方がいいかな」
そんなことを考えながら移動することがあります。
整体の現場でも同じです。
施術中は、その患者さんの体に集中する。
そして仕事が終わってから、
「あの人、もっと何かできなかったかな」
と考える。
患者さん自身はすごく満足して帰ってくださった。
それでも、自分の中では何となく腑に落ちない。
そんなこともあります。
患者さんが満足した=自分の仮説が正しかった、ではない
これは結構大事だと思っています。
患者さんから、
「すごく楽になりました」
と言っていただける。
施術者としてはもちろん嬉しいです。
でも、それだけで、
「自分の考えは正しかった」
と全部終わらせないようにしています。
なぜ変わったのか。
自分が考えていた理由で本当に変わったのか。
他の要素もあったんじゃないか。
次回も同じ結果になるのか。
自分の中で説明できないところが残っていたら、やっぱり考えます。
学校のテストみたいな「正解」は臨床にはほとんどない
新人スタッフにもよく話します。
「この症状だったら、ここを施術しておけば良くなる」
みたいなものは、基本的にはないよ、と。
もし、
「Aという症状なら、必ずBをやればいい」
というくらい単純なら、施術はもっと簡単だと思います。
でも相手は機械ではありません。
人間の、生きている体です。
年齢も違う。
生活も違う。
筋力も違う。
過去のケガも違う。
病歴も違う。
睡眠も違う。
精神的な状態も違う。
同じ人であっても、昨日と今日で状態が違うことだってあります。
だから、
「この症状なら、この施術で絶対に良くなる」
というものを私は持っていません。
それでも、再現性を高める努力はできる
だからといって、
「人の体は分からないんだから、何をやっても同じ」
という話でもありません。
症例を重ねる。
解剖学や生理学を勉強する。
仮説を立てる。
施術する。
反応を見る。
うまくいかなければ、仮説を変える。
そういうことを繰り返せば、
「こういう場合は、こちらを確認した方がいいことが多い」
という経験は積み上がっていきます。
100%ではなくても、再現性を少しずつ高めることはできると思っています。
だから私は、分からないことを分からないまま放置するのではなく、考え続けます。
「自分、下手になったな」と思う時もある
長く臨床をやっていると、たまに思うんですよ。
「あれ、自分、下手になったのかな」
って。
昔だったらもっと単純に、
「ここが原因だ」
と思えていた。
でも知識や経験が増えると、
「いや、こっちもあるな」
「でも、この可能性もある」
「本当にこれでいいのかな」
と考えることが増えます。
すると、一時的に分からなくなったような感覚になることがあります。
でも、私はもうそれでいいと思っています。
1年前の自分よりは、たぶんうまくなっている
10年、20年、ずっとそんなことを繰り返してきました。
分からない。
考える。
勉強する。
やってみる。
また分からない。
正直、ずっとこの繰り返しです。
でも、後から振り返ってみると、
「1年前の自分よりは絶対うまくなっているな」
と思います。
分からないことが減ったというより、
分からないことに対して、考えられることが増えた。
そんな感覚の方が近いかもしれません。
分からないから、臨床を続けられるのかもしれない
患者さんを良くしたい。
もっと良い施術をしたい。
そう思って臨床に立っている以上、分からないことから逃げることはできません。
でも、分からないことを恥ずかしいと思う必要もないと思っています。
分からないから考える。
分からないから勉強する。
そして、次に同じような患者さんと出会った時には、前回より一つ多く考えられる。
私はたぶん、これをずっと繰り返していくんだと思います。
臨床経験が増えるというのは、正解をたくさん知ることではなく、分からないことに対して考え続けられるようになることなのかもしれません。
今のところ、私はそんなふうに思っています。

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